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雨の中を次のキャンプ地へ

中川町オートキャンプ場ナポートパーク(7月15日~16日)

(びふかアイランドのキャンプの様子はこちらへ
ダウンザテッシのセカンドステージは中止になったけれど、昼食は当初の予定通り音威子府で提供される。
そしてその後はサードステージのスタート地である中川町のオートキャンプ場ナポートパークに宿泊することになる。
その間、雨の中で今日一日時間をつぶさなければならない。


何処の川も茶色く濁って増水している

びふかアイランドのキャンプ地を後にして、向かったのは歌登温泉。
天塩川温泉も考えたけれど、同じ様な行き場の無い人達で混雑しそうなので、少し離れた場所にしたのである。

途中で通り過ぎる川は、何処も増水してまっ茶色な水が流れていた。
道北方面は結構な雨が降ったようである。
この水が全て天塩川に流れ込むのだと思うと、明日の川下りも心配になってくる

歌登では、うたのぼりグリーンパークホテルの温泉に入る。
12年前に元湯である隣の朝倉温泉に入ったことがあったが、今は土日の16時から21時までしかやっていないのだ。
褐色の炭酸泉が入っているのは小さな浴槽だけだったが、空いていたのでゆっくりと浸かることができた。


昼食は音威子府そば

温泉から出た後に、12年前に泊まったふれあいの森キャンプ場の様子を見に行く。
こんな天気でも、しっかりと数組のキャンパーが泊まっていた。
北海道もキャンプシーズン真っ只中って感じである。

その後、昼食を食べるために音威子府へと向かう。
昼食会場の公民館の周りは既にカヌーを積んだ車でいっぱいだった。
今日の昼食は音威子府そばとおにぎり二個、そしてお決まりのお茶である。

黒い色が特徴の音威子府そばは、村の特産品として名前を知られている。
その音威子府そばを食べられる街の蕎麦屋は、連休中と言うこともあって混んでいるようだが、こうしてツアーの昼食として食べさせてもらえるのだからありがたい話しだ。


昼食会場の公民館を後にする

昼食を食べ終えても時間はまだ12時を過ぎたばかり。
特に行くあても無いままに、今日のキャンプ地である中川町に向かって北上することにした。

途中で「エコミュージアムおさしまセンター」の看板を目にして、何の施設か分からないままに寄り道することにした。
国道からの入り口に「砂澤ビッキ記念館」と書かれた看板が立っていて、それでようやく施設の内容を理解した。
訳の分からない名前じゃなくて、最初から素直に「砂澤ビッキ記念館」の名前にしていれば良いのにと思ってしまう。

天塩川を渡る橋の上から、川の様子を眺める。
まっ茶色の水が滔々と流れていた。
しかし、その流れは荒々しいものではなく、十分に下れそうにも見える。
途中にある瀬の状態までは分からないが、今日のツアーを中止にしたのがもったいなく思えてきた。

天塩川
まっ茶色に濁った天塩川



しかし、参加者の中には全くの川下り初心者もいるし、100艇以上のカヌー全てに目を配ることは難しいだろうし、中止にしたのは妥当な判断だろう。
後でこの日の川の水位を調べてみると、午後3時の水位は午前9時の水位よりも更に1m近く増えていたのである。

砂澤ビッキ記念館
砂澤ビッキ記念館

記念館の前にはカヌーを積んだ車が沢山停まっていた。
他の大会参加者も時間を潰すのに苦労しているみたいだ。

アイヌの彫刻家として、砂澤ビッキの名前だけは知っていたけれど、私の知識はその程度である。
その作品も直接見たことは無かった。

玄関から入って直ぐの風の回廊には、ビッキの絵画や版画が展示されていた。
彫刻家のイメージしかなかったけれど、これらの作品もなかなか素晴らしい。
そして彫刻は、言わずもがなだ。

記念館の建物は廃校となった小学校を利用したもので、廃校になった後は砂澤ビッキがアトリエ兼住居として使っていたとのこと。
所々に学校として使われていた頃の跡が残っているのが面白い。


土に還りつつあるトーテムポール「オトイネップタワー」


ビッキは、木の彫刻が朽ち果てて土に返っていくまでを一つの作品として考えているとの話しを聞いたことがあるが、展示室内の朽ち果てた彫刻の残骸にも確かに美しさを感じられた。
すっかり砂澤ビッキのファンになって記念館を後にする。

砂澤ビッキ記念館「TOH」
暗闇に浮かび上がる「TOH」
砂澤ビッキ記念館
学校の面影が残る


国道まで戻ってきて北に向かうと、直ぐに今度は「北海道命名の地入口」の看板を発見。
今回のダウンザテッシは北海道命名150年も記念しているので、これは素通りするわけにはいかない。
天塩川のほとりに、大きな記念碑が立っていた
多分、予定通り川を下っていたとしても、ここは上陸ポイントになっていたのだろう。

北海道命名の地
高橋はるみ知事書の記念碑が立つ



そこへちょうどD地君達のグループがやってきた。
D大地君の手には何故か釣竿が握られている。
どんな時でもじっとしていられないD地君なのである。

中川町オートキャンプ場ナポートパーク
かろうじて車の横にテントを張ることができた

他に行く当てもないので、午後2時前だったけれど今日のキャンプ地であるオートキャンプ場ナポートパークに入ることにした。
ここのオートキャンプ場は今日は私たちが貸切で使うことになっている。
オートサイトの数も限られているし、大人数でどうやって使うのかと思っていたら、私たちが着いた時には既にもうテントが沢山張られていた。

オートサイトは、荷物の多少には関係なく先着順だったのである。
運悪く、私たちの前で丁度オートサイトが全て埋まってしまったようだ。
それでも、通行の邪魔にならない場所に車を停められたので、オートサイトの一角テントを張ることができた。

このキャンプ場に泊まるのは21年ぶりである。
その時は今回中止になった区間の音威子府から中川までを下っていた。
この時の川下りが、私たち夫婦が一日で下った最長距離の記録として、今回のダウンザテッシに参加するまで残っていたのである。

中川町オートキャンプ場ナポートパーク
キャンプ場の隣には温泉付き宿泊施設のポンピラアクアリズイングがある


雨は殆ど止んでいたけれど、まだ時々パラパラと降ってくることもある。
しょうがないので小さなタープの下でビールを飲む。
今回のキャンプでは椅子も小さなものを持ってきていたけれど、その椅子に座ると頭がつかえてしまう。
やっぱりこのタープを使うのは、地面に直接座って過ごすことになる川原キャンプの時くらいなのである。


この日の夕食とくじで当たった景品

夕食配布の時間になったので、本部テントに夕食を貰いに行く。
その時にくじも引けて、かみさんは見事に中川町特産のハスカップワインをゲットしていた。
私は相変わらずくじ運が悪く、中川町のクリアファイルが当たっただけである。

夕食のメニューは、道の駅なかがわでも売られているステーキ弁当と豚汁。
それに加えてサッポロクラシックにお茶、中川町特産のサイダーまで付いてきた。

それらを両手一杯に抱えてテントまで戻ってきた。
今回のダウンザテッシ3泊4日の参加費は、バス代を除いても2万円。
参加を躊躇うくらいの高額だったけれど、開催期間中の夕食と昼食が全て用意されていて、それ以外にビールやお茶、抽選会などもあって、これで2万円お参加費は安いくらいである。
実行委員会役員のサポートも行き届き、お世辞抜きで素晴らしいイベントである。

中川町オートキャンプ場ナポートパーク
釣ってきたニジマスを捌くD地君

炊事場では、D地君が近くの支流で釣り上げたという大きな虹鱒を捌いていた。
彼なら、一人で山の中に放り出されたとしても十分に生きていくことができそうだ。

明日のサードステージの開催がはっきりとしないまま、この日は眠りにつく。

翌朝は細かい霧雨が降っていた。
この日の朝食は、昨日の昼食で食べ残したおにぎり。
結局、期間中の朝食も全て、配られた食べ物で済ますことができたのである。

朝6時頃になってようやく、この日のサードステージの開催が正式に決定した。
そのアナウンスが流れると同時に、私たちは直ぐ近くのカヌーポートにカヌーを下ろしに行く。
出艇場所の河川敷に降りるには細い道が1本あるだけなので、混雑は必死なのだ。

ナポートポート
サードステージのスタート地点


カヌーを下ろした後はゆっくりと撤収開始。
霧雨も止んだので、テントを乾かすことはできなくても、水滴を綺麗にふき取った状態で収納することができた。
午前7時に今日のゴール地点へと車を回送する。

この後のダウンザテッシ サードステージの様子はこちらへ 



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