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山陰九州の旅(長崎から島原へ)

エコ・パーク論所原(4月4日~5日)


ホテルの窓から見える風景

宿泊したホテルの窓のカーテンを開けると、正面に見える山の斜面に無数の墓が建ち並んでいた。
そしてその墓の上にも下にも住宅が張り付いている。
この日は、その風景と全く同じよう場所を歩くことになる。

ホテル泊だとテントの撤収をする必要もないので、午前7時には出かけることができた。
私が長崎で行ってみたかったのは大浦天主堂でもグラバー園でも出島でもなく、亀山社中記念館だった。
言わずと知れた坂本龍馬が設立した結社である。

市電の終点駅「崇福寺」近くの駐車場に車を停めて、そこから亀山社中記念館までブラブラと歩いて行くつもりである。
まず最初に崇福寺に向かう。


崇福寺は山門だけ

国宝となっている建物や国の重文など文化財の宝庫と紹介されていたが、拝観時間の午前8時まではまだ20分もあり、山門で写真を撮っただけで先に進む。

石張りの細い道を歩いて行くと、その沿道には沢山のお寺が建ち並んでいる。
お寺とお寺の間に幣振坂の案内板が立っていた。
石垣に挟まれた細い急坂と階段が続く道を登ってみる。

満開の桜が咲くお寺を通り過ぎる。
周辺の掃除をしているお坊さんたちと挨拶を交わす。

お寺を過ぎると、急な階段の横には墓地が広がっていた。
古いお墓の上にクスノキの巨木が枝を伸ばし、歴史の古さを感じさせる。


墓を覆うように枝を伸ばすクスノキ


これから出勤するような女性が、階段を下りてきた。
この場所には全く似つかわしくない女性の姿だった。
階段は果てしなく続き、途中で引き返すのも癪なので、更に登り続ける。


幣振坂を登っていく


階段がようやく終わったと思ったら、そこから先には住宅地が広がっていてビックリする。
先程すれ違った女性はここから降りてきたのだろう。
ようやく坂の終点を見極めることができて、再び引き返す。
ここまで、標高差で100m以上は登ってきているのは間違いない。

次に立ち寄ったのは興福寺。
日本最古の唐寺で、如何にも長崎らしいお寺である。


異国情緒漂う興福寺


更に先に進むと亀山社中記念館の案内矢印を見つけて、そこから再び階段の道を登っていく。
所々に陸奥宗光や長岡謙吉など亀山社中に所縁のある人物の説明版が立っていた。


こんな坂の途中に人が暮らしているのが信じられない

ここも階段の周囲はお墓だらけである。
住宅も立ち並んでいる。
「えっ?ここに住んでいる人達って、何処から出入りしているの??」

近くに車で入ってこられるような道は無く、家が面しているのはこの急な細い階段の道だけである。
こんな場所で沢山の人達が暮らしていることにカルチャーショックを感じてしまう。

かみさんの出身地である小樽も坂の街と言われているけれど、そのかみさんもここ長崎の坂道にはビックリしていた。

小樽でも凄いところに家が建っているなと思わせるところはあるけれど、少なくともそこまでは車で入ってこられるのである。

そんな風景に驚きながら、龍馬のブーツ像までやって来た。
如何にも観光客向けの施設だけれど、龍馬ファンならこんな物でも嬉しく思えるのだ。
喜び勇んでそのブーツに足を入れ記念写真を撮る。

記念館はまだ開館時間前だったので、先に坂本龍馬像のある風頭公園に行くことにした。
更に階段を登っていくと、その途中にも小さな龍馬像があり嬉しくなる。


龍馬のブーツ像

小さな龍馬像も



風頭公園の龍馬像は、満開の桜の海に浮かぶように長崎の街を見下ろしていた。
長崎観光はやっぱり坂本龍馬に尽きるのである。

この後に入った亀山社中記念館も、展示されているものは複製品ばかりだけれど、龍馬ファンとしてはやっぱりここは聖地なのである。


長崎の町を見下ろす風頭公園の龍馬像



龍馬が見下ろす長崎の町


そこから電車に乗って市内の中心部まで戻ろうと思っていたけれど、市電の駅まで歩くよりも直接向かった方が早そうなので、そのまま歩くことにした。


美味しそうな饅頭に足を止める

長崎市内の観光は市電を使った方が便利だとガイドブックに書かれていたけれど、結局私たちは一度も電車に乗らずに、中心部は全て歩いて回ることとなった。

中通り商店街は古い店舗が多く、歩いているだけでも楽しい。
店先に並んでいる饅頭がとても美味しそうだったので、日之出饅頭店で饅頭を購入。

中島川に架かる石橋も良い雰囲気である。
その中で、観光地になっている眼鏡橋周辺にだけアジア系観光客が群がり、嫌気がさしてしまう。

昼食は新地中華街で食べようと思っていたが、時間が早過ぎたので、その前に出島に行ってみる。


アジア系観光客に大人気の眼鏡橋

こちらの橋の方が風情があると思うけれど


お金を払ってまでその中を見ようとは思わないので、外側をぐるりと一周するだけに留めた。
出島には再現された街並みがあるだけで、それならばを見るだけの外からでも十分に見えるのである。

最後に中華街の蘇州林と言う店でチャンポンと皿うどんを食べ、これで長崎ミッションは完了。
と思ったが、まだ平和公園が残っていたことを思い出し、そこへは車で向かった。


出島は外から眺めるだけで十分

皿うどんにチャンポン



長崎まで来て、平和公園に寄らずに通り過ぎることは出来ない。
ただ、原爆資料館は観光の途中で駆け足しながら見て回るものでもないと思うので、別の機会に譲ることにした。
ここは日本人観光客よりも欧米系観光客の方が多い気がして、何か複雑な気持ちにさせられた。


平和公園は欧米系観光客が目に付く


長崎を後にして島原半島へと向かう。
目的は雲仙普賢岳だけれど、それだけでは勿体ないのでその前に島原の町へも寄っていく。
湧水が引かれた水路とそこに並ぶ武家屋敷はなかなか良い雰囲気だ。
こんな所の武家屋敷は有料で公開されていることが多いけれど、ここでは無料で開放されているのも魅力である。


武家屋敷の中を流れる水路は良い感じだ


ただ、武家屋敷は良かったけれど、島原城の方はパッとしなかった。
最初に驚いたのは天守閣の下まで車で行けることだった。
アクセスが良いのは、便利と言えば便利だけれど、趣は全くない。
天守閣も、お城の形をした展望台と言った方が良いだろう。
中に入るのにお金がかかるし、外から写真を撮っただけでそこを後にした。


島原城は城の周りが駐車場だった


そして、千本木展望台、平成新山ネイチャーセンターなどから、平成2年からの火山活動で新たに誕生した平成新山の姿を眺める。
テレビのニュース番組等で見た平成5年の大火砕流の映像は、今でも脳裏に焼き付いている。


長崎で買ってきたお饅頭を食べながら平成新山を眺める


そんな、自然が作り出したダイナミックな風景に感動した後、今日のキャンプ地であるエコ・パーク論所原に到着。
オートサイトが1区画4000円と結構な料金のオートキャンプ場だけれど、明朝は早めに出発したいので、しょうがなく選んだキャンプ場である。
サイトには炉もベンチも何もなく、車を横に停められるだけでこの値段ならば、何時もならば敬遠するようなところだ。


面白みのないエコ・パーク論所原のオートサイト


此方に来てから4泊目のキャンプで、初めて他のキャンパーの姿を見た。
とは言っても1組だけで、4月に入ったばかりではさすがの九州でもまだシーズンオフなのだろう。
着るものの洗濯は昨日のホテルで済ませていたけれど、ここのキャンプ場のランドリーは無料で使えるので、せっかくだから洗濯をしておく。


かみさんが作ってくれたビールのつまみ

綺麗に整備されたキャンプ場で、場内には1本の枯れ枝も落ちていなかったが、隣の森の中に入ってみると、手頃な枯れ枝を沢山拾えたので、今日も炊事場の炉を使って焚火をすることにした。
九州に入れば夜中もそんなに冷え込まないだろうと思っていたが、相変わらず日が沈むと急に気温が下がり、焚火無しではいられないのである。

拾い集めた薪は腐食が進んでスカスカのものばかりで、こんな薪は良く燃えそうに見えるけれど、実際はそうではない。
勢いよく炎を上げて燃えるのではなく、気負いよく上がるのは白い灰ばかり。

舞い上がった灰は、上に屋根があるので、そのまま炊事場の中に降り注ぐ。
食べ物も服も灰だらけとなり、昨日選択して焚火の臭いが取れた服が、直ぐにまた焚き火臭くなってしまった。

翌朝、焚火の臭いを取ろうと、無料のシャワーを浴びていたら、途中から水しか出なくなり、泣きそうになりながら体の石鹸を洗い流した。

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